otaktmのブログ

チェンマイより発信

3727.チェンマイ銀砂館の日々■<信仰> 2021/11/06

 今日わ5年も前の文藝春秋の、それもチョイ怪しいにおいもする宗教団体の広告亀茲蛇。コーユー風に書くと、「また、馬鹿ジジイがミスタイプ(記事)をしやがって・・・」、とか言うのも出来かも知れんが・・・。そんな連中わ、亀茲(きじ)とユー国のことを知っとるかァ? 烏カァカァ・・・。⇒ チョイ教えたる烏(カァ)。
 仏教屋の大ジジイ猫(ニャー)、大重要な国蛇。ググってみると、『現在のクチャ (庫車) の地。前漢・後漢時代には文化交流上の重要地点となり,仏教が盛んに行われたところ。著名な翻訳僧・鳩摩羅什の出身地』。バカ置きわここまで。本題に移動する象、と気張ってみたが、心配スンナ。古雑誌の宣伝を無断盗用するだけ蛇。
 チョイ長くなる象。『心は祈るところのない内清浄で、身は穢れのない外清浄であれば、神の心と吾が心に隔てがなくなる。神と同じであるならば、何を望んで請い祈ることがあろうか。これが真実の参宮と受け賜わる、と書き残しています。神仏への祈願を当たり前のように受けとめがちな私たちですが、仏教にしても神道にしても、信仰の本質は祈ることを必要としないところにある、ということでしょう。(立正佼成会)』
 まことにソーだろうな、と思う。が、「よー言うてくれた」、と思うワルもイッパイおる蛇ろうな。ウン。

×

非ログインユーザーとして返信する