3121.チェンマイ銀砂館の日々■<台風、電話、訃❶> 2019/10/10
日本の話。先日の被害の補修も終わっていないのにまたも大型台風の襲来である。ひっきりなしの国際電話・・・。
そんな中、きのうはウアンがやって来て寺資料の翻訳。気になっていた市街の北に広がるノンブア(=蓮池)。
1899年作成の地図では、その南端は旧市街のチャイシー角とくっついているが、現在その辺りを歩いてみても広大な池の面影はない。情報によると、今世紀に入ってから池の埋め立てが進み、広い宅地やラタナコシンン路が造成されたということらしい。その辺りの資料はあるのだろうが、なかなかhitしない。日を改めてNatl. Libraly に行かなければならない、ということである。この湖から流れる水路が、CM旧市街の外堀を形成しているのである。
チェンマイ旧市街は二重の濠で囲まれているが、外堀は天然の水路を利用したものである。都を創ったマンライ王は、居城であった南方のウィアンクムカムから、何度も新都を作る土地を求めて探査の旅を行っている。
そして、チェンマイの土地を見つけるのであるが、文献によるとチェンマイの土地は木が生い茂り、野獣が跋扈する荒野だったらしい。一帯はラワ族の支配下にあったが、ラワは王国を形成しておらず、マンライ王はその首長を訪ね、都造成の許可を得ている。なんど読んでも胸躍る、LANNA王国造成の物語である。