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チェンマイより発信

3636.チェンマイ銀砂館の日々■<みそか> 2021/06/30

 『三十日に月が出る』ツーのがあったナ。「ナニ、分からん」蛇トォ、net に入ってミッカ。⇒旧暦を使っていた時代は、月末の日は三十日だったので、十日(とおか)、二十日(はつか)、三十日(みそか)、となって、「みそか」は三十日を表す一方で、月の末日を表す言葉となった。読みの「みそか」はこんな理由です蛇が、では漢字の「晦日」はどこから来たかァ。⇒「晦」は一文字では「くらい」と読むように暗い夜、月が出ない夜を指す文字だった。~「晦日」は月の出ない暗い夜の日を表すようになる。
 いわゆる旧暦では、暦月最後の日は翌日に新月をむかえる月は、夜に空に昇ることはないし、昇ったとしても、明るく輝く部分がほとんど見えないので月末は「月のない暗い夜」だった。
 「晦日」は「つごもり」とも読むが、これも月と関係している。月が見えないのは、月がどこかに籠っていて姿を現さない『月籠り(つきこもり)』状態にあるからだと考えた。つまり「つごもり」は月が籠もって出て来ない日の意味。こんな風に考えてくるとなぜ、月末が「みそか」で「晦日」で「つごもり」なのかが分かってくる。きますね。つまり、『三十日に月が出る』ことはあり得ない。
 『三十日に月が出る』⇒あり得ないこと、馬鹿げたこと。とユー意味蛇。因みに、明治時代に旧暦から新暦に改暦された直後に、新暦を批判した新聞記事に取り上げられた俗謡に『女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月も出る』というものがあった。現在のカレンダーをいくら見ても晦日の月の意味は分からないが、太陰暦を使っていた時代の人たちなら、「晦日に月」はあるはずが無いことが常識中の常識だったので、こんな俗謡の歌詞もみんな納得して聞いていたのでしょう・・・。わあったかァ?

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