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チェンマイより発信

3249.チェンマイ銀砂館の日々■<知らんかったことども> 2020/03/07

 密教のはなしでR。ジジイの知識力は日に日に低下しとる、とユー話じゃ。チョイとした理由があって、密教に関する駄本を開いてみた。VAJRAYANAとユーふざけた著者名の“密教(イースト・プレス社)”と、ゆう奴蛇。
 いきなり個人的なことである。銀家の墓は浄土真宗寺にある。が、墓が真言宗の寺の中にあるのは、一家が千葉に移り住んだとき、近くに浄土真宗の寺がなかったので、目についた真言宗の寺に頼み、そこに墓を移したの蛇。これが間違いの始まりだったデス。
 やって来た坊主は、いきなり仏壇に飾ってあった釈迦の軸を取り去り、空海の絵と置き変えたとデス。ムカついても穏便にことを処理するのが銀の処世術、「おもろいことをするヤンケー」、と思ったが黙っとったデス蛇。
 それから何十年も経った今になって、その訳が分かったツーことです。上にあげた本によれば、『空海が806年に唐から持ち帰った真言密教は、空海の尽力で、約30年で一宗派として国に認められた』。漢字で書いてあるので分かり難いが真言密教ツーのは、『仏式の一部ではなく一つの宗派である』、とユーことです蛇。
 何も知らんかったが、浄土真宗から、“キリスト教”“イスラム教”“ヒンドゥー教”などと同列の“真言密教”とユーものに乗り換えていたとユーことでゲス。面白い話ですよネ・・・。

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