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チェンマイより発信

3150.チェンマイ銀砂館の日々■<思い出す両親②> 2019/11/11

 ジジイたちの家は、先ごろ俄に有名になった千葉県は、茂原とユー町にある。見事に、先の台風にやられましたデス蛇。そんなこともあって、最近ご老女さまは頻繁に一時帰国なさる。旅行会社屋は大喜びであるが、もっともラシー顔をして言いよる。「そんなに足袋たびケエッテ(=度々帰って(金のホーは)大丈夫ですかァ?」「ヤマカシ―、お前が心配するヨーなこと蛇ネー!!」。で、ジジイである。
 変わって、亡き両親の登場。「一緒に行きまセウよ」「ワシャー行かん」。こんなときでR、オヤジのことを思い出すのは。オヤジの言い分はこうである。「ワシが行っても誰も喜びャせん」。このセリフの意味が分かるのは何十年も経ってから。“リヤ王”が鑑賞できるようになるには、何十年もの時間が必要だということである。
 その両親、オヤジが逝ってから三十年、お袋が亡くなってから二十数年が経つ。かりに、今まみえることがあったとしても、両親を見分けることはできないだろう。仏壇で微笑む、当時100歳だった叔母の写真を見ながら思うことである。忘れる能力というのは、ときには美徳である、きっと・・・。

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