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チェンマイより発信

3615.チェンマイ銀砂館の日々■<広い & 飛ばし黄泉> 2021/05/20

 「タイトルがスッと理解デケルのは少ない蛇ローとは思うが、分からん奴は読むな」、とジジイわインチキな気勢を上げておる象。何度もユーが、銀ブロは読者数などとわ無縁、気に入らんキャ来るなという高い姿勢のブロ愚蛇。前置きはここまで、今日わ黄泉の国なんかで行ってミッカ。
  訳の分からん酒にやられて4時に飛び起きたら室内外は共に30℃、窓を開けたままで寝とったツー奴蛇。
 で、枕元にあった『中村元「老いと死」を語る(麗沢大学出版会)』、を開いてみた、とユーことデス。銀のラベルになると、100頁チョイの本を見るのに要する時間わ10分ほど蛇。たちまち、この本の内容は以下の2点に集約されることを見抜いたナ、ウン。
 ❶老いは幸運の果実である。⇒ 東アジアのような農耕、特に水田稲作農業を中心とする地域では、老いは神の域に近づくこととして尊ばれてきた伝統があります。この地域では、古来神のイメージは顔に深い皴を刻み、白髪、白いヒゲを蓄えた老人の姿です。~
 ❷人間の文化は死の克服にある。⇒ 如何に生きるか、如何に日常生活において、よりよく生きるか、ということは、同時に如何に死の恐怖を乗り越えるか、それを和らげるか、あるいは死を如何に意味のあるものとして理解することであったと言えるからです。~~
 わあったかァ?

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