otaktmのブログ

チェンマイより発信

3550.チェンマイ銀砂館の日々■<復帰する象> 2021/03/01

  ヨーヤク冬眠が終わった。きのう月レポの配信が終わったので、戦列に復帰する象。とは言うけどナ、今朝は銀砂館のオーナーの別の持ち家の、修復終了披露の祝いに招かれたのでバタバタしておった。長ーい午睡から覚めた後も思考能力にわ、全く回復が見られん。
霊によって、月レポの冒頭を、そのマンマ引用して急場を凌ぐとユー荒業じゃ。』
【今月の歌】
人に死し鶴に生れて冴返る(夏目漱石)
 見たとたん、いい俳句だと思ったが、鑑賞することができない。加えて、これが如月の歌だというのも分からない。で、ネットの丸写しという荒業です。
 『「冴え返る」は,立春を過ぎて寒気がゆるみ,いくぶん暖かくなってほっとした途端に,またぐんと冷え込む春先の様子のこと。突然冬のような寒さが蘇って寒さがより敏感に感じられる心持ちをいいます。寒さをくっきりと表し,「凛」とした印象がありますが,春の季語です。また光,音,色などが澄むことも意味し,「月冴えて」とか「物音が冴え」などと言います。さらにそこから転じて頭の働きや腕前があざやかであることを形容する「頭の冴える」という言葉にもなりました。
 小説「草枕」には,伊藤若冲の鶴の図の作品が登場します。「床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに,部屋に這入った時,既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが,この鶴は世間に気兼ねなしの一筆描きで,一本足ですらりと立った上に,卵形の胴がふわっと乗っかっている様子は,甚だわが意を得て,飄逸の趣は,長い嘴のさきまで籠っている。」
 当時,漱石は教師をしていた熊本から東京にいる子規に俳句を送っては丸をつけてもらっており,この句は二重丸が付いたものでした』
■ねかはくは花のしたにて春しなんそのきさらきのもちつきのころ(西行・山家集)
大意:願うことには、桜の花が咲いているもとで春に死にたいものだ。それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の二月十五日の満月の頃に。~西行は桜を心から愛しており、彼の著作の中にも桜にまつわる歌は多く残っている。桜が花を咲かせる春は、四季の中でも西行にとってお気に入りの季節であったことだろう。釈迦の入滅がいつであったか関しては諸説あるが、日本や中国では「二月十五日」を入滅の日と定め、涅槃会が催される。旧暦二月十五日は太陽暦では、三月の中旬にあたる。
 西行は出家した身であるため、春の中でもとりわけその時期にこの世を去りたい、と思いを込めたのだろう。西行は文治六年(1190年)の二月十六日にこの世を去った。西行にとっては本懐を遂げたと言ってもいいだろう。その生きざまは藤原定家や慈円の感動を呼び、当時名声を博したという。
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(菅原道真・拾遺集)
 解題は不要だろう・・・。

×

非ログインユーザーとして返信する