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チェンマイより発信

3413.チェンマイ銀砂館の日々■<こころ塞ぐ長雨> 2020/09/21

  大伴宿禰家持の紀女郎に報へ贈れる歌一首
 ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺にをればいぶせかりけり/万葉巻四(七六九)
(歌意)天高くから雨の降る日をただひとり山の近くに居るとこころも塞いでしまう。
懐かしい日本は四連休、秋晴れの日が続いておるのかも知れんが、南国の古都は梅雨のヨーな日々蛇。で、白居易である。
 『渭上に退居し、門を杜ざして出でず。時は多雨に属して、以って自ら娯たのしむ無し。会たまたま家醞新たに熟す。雨中独り飲み、往往酣酔し終日醒ず。懶らん放ほうの心、弥いよいよ自ら得るを覚ゆ。故に此に得て、而して以って彼に忘るる者あり。因って陶淵明の詩を詠じ、たまたま意と会す』⇒『官を退いて渭水のほとりに住み、門を閉じて外出しない。時は雨の多い季節に属して、どうも独りで楽しめる遊び事がない。丁度、自家醸造の酒が熟してきたので、雨中に独り飲み、往往として酔いしれて終日醒めないことがあり、懶情放縦な心は、益々身に浸みてくるようである。この怠け癖がついて、あの修養の方は忘れがちになることがある。そこで陶淵明の詩を朗詠したら、我が心持ちとぴったりした』
 以下は 9月20日記載。ジジイの憂愁の友わ、シンハ・ビイルである。返り討ちに遭った。シャワーは朝浴びた。牛(モー)寝よう。Pm.7:00、深夜である・・・。

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