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チェンマイより発信

3261.チェンマイ銀砂館の日々■<Gott ist tot> 2020/03/19

 タイトルはニーチェである。『神は死んだ』と訳される。毎朝3時ころに起きだし、親兄弟や早世した知友を思って粗末な仏壇に祈るとき、思い出す言葉でもある。日本に焼き直せば、『仏陀は死んだ』とでも、なるのだろうか。
タイトルを解題したものは多いが、『神の掟に従ってさえいれば救われる』、というテーゼに対する強烈な反撥であることは間違いない。転じて我が仏教はどうなのか。例えば何とかの一つ覚え『南無阿弥陀仏』、を唱えさえすれば、どんなことをしても救われるのか?
 思い出す、昔に読んだ、満洲馬賊のことを面白おかしく書いた本。『仏様、人殺しをして金品を奪う。悪いことだということは分かっております。でも、私たちにはそうやって生きていくしか手立てがないのです。今、ここで心からお願いします。そうやって悪いことをしていても、死んだら必ず救ってください。お願いします~』。
 この状態を『ガラガラポン』するためには、キリスト教徒であればタイトルの『神は死んだ』が、必要になる。★ガラガラポンは分かるな。⇒ 主に昭和世代が使用する言葉で、「現在あるシステムを壊して仕切り直す」「スタートラインに戻す」「白紙に戻す」「リセットボタンを押す」~「革命」「改革」などの意味がある(ネット)。
 多くの人は、そう思っているのではあるまいか。『リセットボタンを押す時期が近づいているな・・・』

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